• 乗西寺
  • 乗西寺
  • 乗西寺
乗西寺 寺報

2014年春 第51号
つなぐ


ベトナムのいま
名古屋乗西寺の時報51号写真 名古屋乗西寺の時報51号写真
2月下旬、私と坊守はご門徒さんに友人を加えた19名でベトナム・カンボジアを訪れました。
世界遺産アンコ-ル・ワットを中心に前半はベトナムのホ-チミン、後半はハノイと海の桂林といわれるハロン湾の船旅という8日間の日程。
興味の一つは私にとっては1975年に終結したベトナム戦争の爪痕がどのように残っているのかでした。
ベトコンの戦争の基地だったクチ村は観光地になり、戦争のことを知るのは戦争証跡博物館、
入口近くでは障害者が自分たちの作った雑貨品を売っていました。
あの悪名高きアメリカ軍の枯葉剤散布で障害をもって産まれた人たちです。「ベトちゃんドクちゃん」といえば思い出されるのではありませんか。
共産主義国家を名告るベトナム、町じゅうにオ-トバイがあふれ、ドイモイ政策(アベノミクスのようなもの)で経済が急成長している姿に驚きました。
そこには戦争の痕は微塵も感じられませんでした。
韓国製のバスにゆられながら、窓ごしに見る街。
戦後40年近く経つベトナム、日本でいえば昭和60年にあたるのだと私は納得したのです。

お坊さんは公務員

名古屋乗西寺の時報51号写真 名古屋乗西寺の時報51号写真
ガイドのナムさんにベトナムの仏教について質問した。 各村ごとに寺院があり、毎月1日と15日の2回は村人がお参りに行くという。
そこの住職であるお坊さんは国から生活費が保障されていると聞いてびっくり。
いわゆる公務員なのです。日本なら奈良・平安時代の僧侶たちと同じです。
首都ホ-チミンの真ん中、国会議事堂の横にある偉大な指導者ホ-チミンの墓 (廟) びょう を見学しました。
随所に兵隊が立ち、厳重な警備の中で、永久保存されたホ-チミン氏のひげをたくわえた死んだままの姿を目の当たりにして、私はふと思いました。
この偉人は何を思っているのだろうか。パリでマルクス主義に出会い、国を解放した人が、こんな風に祭り上げられていることを望んだのだろうか。
フランスの植民地であったベトナムは、戦争で彩られた歴史から人民のための共産主義国を確立した。
その姿に接して、いったい国とは、国家とは何なのだろうかという疑問が小さなトゲのように私に引っかかっています。

市場見物は楽しい

名古屋乗西寺の時報51号写真 名古屋乗西寺の時報51号写真
各地の市場を訪ねました。野菜魚介類、果物を手に取ったりして独特の物や変わった品を見つけた時のおもしろさ。
ドリアンも仏頭フル-ツもその場で切ってもらい、味わうことができました。現地の人の暮らしに少し思いをめぐらしていました。

お釈迦さまの 遺言『自灯明、法灯明』 ゆいごん じとうみょう ほうとうみょう

「ア-ナンダ (阿難) あなん よ。この世で自らを (島洲)とし、自らをたよりとして、他人をたよりとせず、法を島(洲)とし、法をよりどころとして、他のものをよりどころとせずにあれ 」

お寺の今年のテ-マを「自灯明、法灯明」として、「法話のつどい」から「報恩講」につながる教化事業を行っていきます。
自分のことを仏教の教えに照らして考えていく。私自身もこのテ-マで連載して書いていきます。
さて、人は人生の終わりにどんな言葉を言って、家族や友だちと別れていくのでしょう。
大切な人を失った者の心にいつまでも残る「最後の一言」が古来から伝えられています。
お釈迦さまが弟子の阿難に語った遺言が上掲の言葉です。80歳で亡くなる晩年の25年のあいだ、お釈迦さまの傍らでともに生活した阿難ですから、先生のしぐさや癖、気持ちを熟知していたのでしょう。
お釈迦さまは35歳で悟りを開かれてから、広大なインドの大地を歩かれました。
80歳、最後の旅は王舎城(マガダ国の首都)から故郷に向かうものでした。
その道中で流行病(疫病)にかかり、吐血してたいへんな苦しみに見舞われたといわれています

別れの言葉

中日新聞の生活面に故人の言葉を「ラストワ-ド」として紹介する欄があります。
皆さんにもちょっと想像していただきたい。
自分が死んで行く時、どんな言葉を口にしますか。医者の徳永進さんが講演会でこの質問をされたら、会場の公民館はシ-ンだったという。
「さあて」と隣の人を見たり、床を見たり、天井を見たり…。
「ありがとう」が多くの人が思い浮かぶ「別れの言葉」のベストワンといわれます。他にはどうでしょうか。
一番シンプルに「さようなら」か。「幸せだった」「元気でな」「仲ようしてな」「苦労かけたな」という言葉がでてくるのでは…。
でも、死んで行く状況にもよりますが、そんな余裕があるのでしょうか。
その時だけでなく、晩年の元気なうちからくり返し言っていた言葉が、残された人に記憶されるのだと思います。私にも思い出す言葉があります。
友人が亡くなる5日前、病床で言った「後を頼みます」