名古屋乗西寺外観

乗西寺 時報

2020年秋 第71号
つなぐ

更新日/2020年11月9日

報恩講を勤める

コロナ禍が続いています。この世界にいる限り誰も新型コロナウイルスに無関係ではいられません。未曾有の事態に、私たちお寺の関係者もさまざまな取り組みとやり方で応答し、法要を行っています。

当寺でも8月のお盆法要では2回に分け、9月の納骨法要も勤めました。三密(密閉・密集・密接)を避け、換気に努め、参詣席を半分にしました。11月、年に一度の大切な「報恩講」を迎えます。

浄土真宗の教えを説かれた親鸞聖人の遺徳に憶いをはせ、その教えに出遇いなおす法要です。それは具体的には

①本堂の荘厳(きれいに飾ること)、特別な仏花と打ち敷・お華束それに御絵伝を掛けるなど

②声明、正信偈のお勤めを重々しくしっかりと読むことであり、住職の登高座と表白(時代への思い考え)があります。

③お斎(食事)、前日から仕込みをし調理します。よく煮込んだ大根・ひりょうずや野菜・キノコ類・こんにゃくなどを使った料理です。

こうした準備があって、毎年の「報恩講」を何十年も勤めてきました。

しかし、今年は感染症のリスクから制約のなかで行うしかありません。特に多くの人が集まって会食するお斎は残念ながらできません。さらに日程も簡略にしました。それだけに中身の濃い法要です。コロナ禍のなかで、なにが大切なのかをはっきりさせ、きちんと伝えていきたいと思います。それが浄土真宗の伝統とそれにかかわる人々の動きとしぐさとして各々の生活につながっていくことを願っています。

1人居てば喜ばは2人と思うべし

2人居てば喜ばは3人(みたり)と思うべし

その1人は親鸞なり

自粛生活を余儀なくされたとき、皆さんは何を思い考えながら過ごしてみえたのでしょう。上掲の詩句は親鸞聖人90歳のとき、死を前に書かれた『ご臨末の書』といわれています。やっかいな感染症のお陰で、私たちは人と会って話しをしたり、食事を楽しんだりすることができなくなりました。会社への出勤もままならず、オンラインやテレワークで仕事をしていました。

今までの生活でなく「新しい生活様式」です。この春から夏にかけて、私は季節の鼓動をほとんど感じないで過ごしてきました。桜は咲きましたが、「花まつり」はなく五月の連休も知らないうちに過ぎ、蓮も猛烈な暑さと残暑のなかでうっすらとした記憶しかありません。急な秋の訪れにもかかわらず、この10か月に起こったこと、したことも、その日付けや先後の時間の流れが思い出せないでいます。どこまで続くか終わりの見えない宙ぶらりん状態のなか、感染者数という数字の変化に気を取られすぎているのではありませんか。「報恩講」にあたって、私たちのこれまでの習いや約束ごとを大事にやっていくことが確かな時間を取り戻す歩みになるではないかと思います。

きりっとした一人

コロナ禍のなか、私は「一人・独り」を強く感じました。親鸞聖人の最後の詩を思い浮かべながら、そこに大好きな詩人茨木のり子の詩「一人は賑やか」が重なり合いました。なかなか人と会い、面と向かって話すことができません。マスクやフェ-スガ-ドを着用しての話し合いやお勤めに違和感をもちながらしています。皆がしていることは・・・

1人でいるのは賑やかだ誓って負け惜しみなんかじゃない

1人でいるとき淋しいやつが2人寄ったらなお淋しい

大勢寄ったら

だ だ だ だっと 堕落だな

一人でいても、皆といても同じ自分を生きています。
一人ひとりの断片でなく、つながった社会のなかで人間として感じながら生きています。そのことを改めて憶い、みんなで一緒に馴れるのでなく、一人でいる大切さにこだわりたいと思っています。

新しいお参り  年に一度はお寺へ

祥月法要:毎月第4火曜日 午後1時半~ 

本堂大切な方の亡くなられた月は、年に一度の祥月です。その方を想う「南無阿弥陀仏」の声は阿弥陀さまからの呼びかけとなって心に響いてくるでしょう。

ぜひ、お寺へお参りください。※詳細は寺までお尋ねください。

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