名古屋乗西寺外観

乗西寺 時報

2019年春 第68号
つなぐ

更新日/2020年4月7日

ペットブーム

お寺でも、かって犬がいた時期がありました。ビ-グル犬の「さくら」です。昭和から平成に移る15年、番犬として境内の一角で飼いました。泥棒に入られた苦い思い出とともに、余りこの犬とかかわることがなかった私でも記憶を辿ることできます。親戚からもらい受けた雌犬「さくら」は成長し、子犬を五匹産みました。たまに私は散歩に連れていくだけでした。どんどん前に進んでいく犬、その引っ張る力にびっくりしながら「さくら、何するの」と怒っていました。私は「さくら」と仲良くなったり、意志が通じたと感じたことはありませんでした。

「さくら」の世話はほとんど坊守とおふくろの二人でした。いつ頃からでしたか、ペットブ-ムとかまびすしく言われるようになりました。いまではス-パ-に行くと、ペットフードやペット関連のコ-ナ-があり、ペットは私たち人間と同じかそれ以上に大事にされています。ご門徒さんのお家でも、犬や猫は室内で飼われているのがほとんどです。

ヒト、犬に会う

犬や猫も生き物ですからいつかは死を迎えます。ペットの供養を専門に行う寺院があり、それを大きく宣伝いるのを見たり聞いたりします。友人のなかにも可愛がっていたシバ犬が死んで、その葬儀をし、忌明け法要まで勤めたと語っていました。それを聞きながら「そうなのか」とつぶやいていました。私自身、何度も犬の供養をしたことがありますが、もやもやした感じがぬぐいきれません。
 そんな折、『ヒト、犬に会う』という興味深い本に出会いました。動物学者の島泰三氏はこう書き始めています。動物学者の島泰三氏はこう書き始めています。「犬がいたからこそ大型類人猿の一種「ヒト」は「人間」らしくなり、犬がいたからこそ「ヒト」は「未開」を脱し、ついに現在の「文明」に至ったのだ」

この本の主題は、オオカミからイヌそして犬になっていく壮大な歴史です。それは一万五千年前にホモ・サピンスと共に暮らすことを選んだイヌであり、これによりイヌは犬になり、更にヒトは人間になったというのです。両者はどちらも自然界では非力だったのですが、共生することで格段に強く生きれるようになったのです。

狩猟や牧畜の場で犬は獲物を見つけたり、群れを追い詰めたり、動きをコントロ-ルしたりします。この過程で犬と人間の間に音声による意志の疎通が生まれたのではないのか。「行け」「戻れ」「止まれ」「やめ」などの命令は犬のうなり声や叫び声への応答であり、最後は犬の首をもみながら「えらかった」「よくやった」の褒め言葉が発せられるのです。

「犬と人間では、身ぶりはあまりにも違いすぎる。この二つの動物種の間の架け橋は、『共通音声言語』であり、つまりは『犬が理解できる言語』である。」人間の言語の起源がここにあるという。なるほどと私はうなずいていました。

孫とのコミュニケーション

この本の第四章「「ことば」はどのように生まれたか」を読みながら、孫の萌永ちゃんのことを思い出しました。なかなか寺には来てくれないのですが、生後11ヶ月の彼女とのコミニケ-ション。「ああ」「う-」・・・音声を発し、私をちょっと見ながら変な顔して横を向いてしまいます。「ことば」を、自分の「思い」や「計画」を相手に伝える手立てだと仮定すれば音声と身ぶり(手話、サイン)と文字(記号)の三つの言語に分けて考えることができる。」私は一歳に満たない子と何とかして関係を作ろうと考えました。つい先日、彼女が来寺した折は、顔を見ながら何度も何度も「モナちゃん、モナちゃん‥‥・」と呼びかけていました。私の音声を記憶してくれることを願ってです。多分、私の存在を覚えてくれたのではないか。(笑)次に来てくれるのが楽しみです。

犬に聞く

本書で印象に残った文章があります。
「ヒトという霊長類の末裔は、その巨大化した脳の使い方を誤り、常に妄想と幻とに怯えながら生きなくてはならなくなった」

いつも私たち人間は考えているようでいて、それは妄想であることが多い。この妄想に縛られて間違えてしまいます。

島氏はこう続けけます。「しかし、それを正すのは、イヌの客観性への確信であり、実在するもの以外は認めない強力な精神力だった。」

犬の洞察力は人間の他者への観察や評価能力を超えることがあるといわれます。知性的、感情的な判断もいつも犬の意見を聞きなさい、と。
犬よ畏るべし。もう一度、犬を飼ってみようかな。

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