名古屋乗西寺外観

乗西寺 時報

2022年 秋 第77号
つなぐ

更新日/2023年1月10日

寺の掲示板

寺門の左側に掲示板があります。毎月、言葉を選んで掲げています。その語句はわたし自身の心に残る、感じ入った言葉です。仏教語に限らず、古今東西の偉人だけでなく、新聞や書籍の一節、ご門徒さんとの会話のひと言を載せることもあります。 もう20数年前、尾崎豊の『15の夜』の歌詞「誰にも縛られたくないと逃げ込んだこの夜に自由になれた気がした」を掲示したことがありました。それを見た若い女性が寺にやって来て、何故あれが書いてあるのかを尋ねたというのです。たまたま、わたしは不在でしたので、彼女には会えなかったのですが・・・。意外に門前の道を歩いていく人が見てくれているようです。 さて、上掲した「希望には…」が今月の言葉です。詩人のポール・ヴァレリィが言っているのですが、医師中井久雄さんの本を読んでいた時にわたしの眼に飛び込んできて、いろいろなことを感じさせてくれました。

新型コロナウイルスは進化し続けています。
私たち人間はワクチン接種を4回、5回とこれからも繰り返していかなければならないのでしょうか。一方、ウクライナとロシアの戦争も8カ月が過ぎ、ゼレンスキ-大統領とプ-チン大統領はお互いを非難し合うばかりです。世界の人々の停戦という願いは、ほとんど霧のかなたにかすんで、その糸口さえ見えません。

喜べない私だから
暮らしは変わりなく続いていきますが、わたしも周りの人も、どこか「コロナが落ち着いたら」と考えたり、思ったりしています。それは各々が希望を語っているように感じます。ヴァレリィのように現実への不信と不安が入り混じりながらです。現状を肯定している人は希望しません。
この逆説的な言いかた、パラドクスの表現を親鸞聖人もされています。
例えば善悪について
善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや。しかるを、世のひとつねにいわく、悪人なお往生す、いかにいわんや善人をや。

「善人でさえ浄土に往生することができるのです。まして悪人はいうまでもありません」という意味です。人々は後半部の「悪人でさえ往生するのだから、まして善人はいうまでもない」といいます。
念仏を称えることに関しても、
念仏もうしそうらえども、踊躍歓喜のこころおろそかにそうろうこと、またいそぎ浄土へまいりたきこころのそうらわぬは、いかにとそうろうべきことにてそうろうやらん
『歎異抄』 第九章
 
「念仏を称えておりましても、躍り上がるような喜びのこころがそれほど湧いてきませんし、まだ少しでも早く浄土に往生したいという心も起こってこないのは、どう考えたらよいのでしょうか」と弟子の唯円が尋ねました。それに応答する親鸞は自分にも同じ疑問があり、喜べない私だから救われるとおっしゃっておられます。

わたしの編み直し

私たち人間はコロナ感染症のような不安定な状況に置かれると、社会の秩序を組み替えて整理しようとします。そこでは、やっていいことと悪いことを自分なりに分類して「こんな人はよくない、ダメだ」と知らず知らずに差別をしています。日本人の6人に1人がコロナに感染した今、わたしもあなたも自分にあったセ-タ-を着るように暮らしを心と体にあったサイズに編み直していきませんか。

【あとがき】

私は小さい頃から絵を描くのが好きでした。上手ではないのですが、言葉でなく形を描いて表現することがわかりやすかったのです。仏教の教えも言葉だけでなく、絵で表せないか。本堂の仏さまにお参りするたびに、思うのです。実は「いろもかたちもない」はずの阿弥陀仏が具象化した姿で私の目前にいつも在るのですから・・・。(住職) 

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