名古屋乗西寺外観

乗西寺 時報

2020年夏 第70号
つなぐ

更新日/2020年9月3日

新しい生活は

コロナ禍が続くなか、いつの間にか季節は春から夏。少し「新しい生活様式」に慣れたのか、多くの人が外に出る機会が増しています。ただCOVID-19という新型のウイルスはやっかいな感染症で、専門家もほとんどわかっていないようです。このところ東京を中心に感染者数が増加傾向にあり、嫌な感じがしています。ワクチンか良薬ができるまで、当面の間は三蜜を避けて、マスク着用や手洗いをこまめにするしかないわけです。4月初めに緊急事態宣言がでてからの「自粛生活」、皆さんはいかがでしたか。いわゆるステイホ-ムの毎日、私は掃除と片付けをしていました。お陰で、ずっと懸案になっていた本の整理が進み、裏の車庫2階がささやかな私設図書館。ちょっと大袈裟か‥‥文庫になりました。学生時代からの本がたまりたまって、至る所にあったのが、ようやく一ヶ所にまとまって、私も本を本棚に差し入れながら、懐かしい気持ちにしばし浸っていました。手に取った本から、前の自分が浮かんできます。

コロナ時代の僕ら

コロナ禍のことを知りたいと思いながら、新聞やテレビその他の情報に少し注意をしていました。日々、世界の、日本の感染者数や死亡者数の増減を気にしながら、感染症の専門のお医者さんの話を聞くと人によって言われることが違っていて、よくわからなくなりました。そんな時、このウイルス感染症をどう考えたらいいのかを大きなスケ-ルで想像力豊かに書いた本『コロナ時代の僕ら』を読みました。「感染症の流行はいずれも医療的な緊急事態である以前に、数学的な緊急事態だ。なぜかと言えば、数学とは実は数の科学などではなく、関係の科学だからだ。数学とは、実体がなにでできているかは努めて忘れて、さまざまな実体のあいだの結びつきとやり取りを文字に関数、ベクトルに点、平面として抽象化しつつ、描写する科学なのだ。そして感染症とは、僕らのさまざまな関係を侵す病だ」 著者はイタリアのパオロ・ジョルダ-ニ、有能な作家だが、大学で物理学を学んだ理系の頭も持ち合わせています。私は「数学は数の科学でなく、関係の科学」という言葉にうなりました。 今年2月コロナウイルスの直撃を受けたイタリア。まさかの事態に襲われたロ-マで2月末から3月初旬にかけて集中的に書かれたものです。感染症がなぜ突然、患者数を増加させるかをビリヤ-ドの球で表現しています。一つの球がぶつかって二つの球を動かす。すると二つの球はそれぞれ二つの球を動かし、瞬く間に動く球は増えていくというのです。実に巧みでよくわかります。3月20日付けで書かれた「あとがき」には「僕は忘れたくない。今回のパンデミックのそもそもの原因が秘密の軍事実験などでなく、自然と環境に対する人間の危うい接し方、森林破壊、僕らの軽率な消費行動にこそあることを。」と、彼は熱く語っています。

新門首の就任

本年6月30日をもって、第25代大谷暢顕門首が退任され、7月1日には、大谷暢裕門首後継者が第26代門首に就任されました。

暢裕新門首は1951(昭和26)年生まれ、第24代大谷光暢氏の弟である大谷暢慶氏の長男で、前門首大谷暢顕氏のいとこ。1952年、父の大谷暢慶氏は南米開教使としてブラジルに着任。それに伴い暢裕氏もブラジルで育つ。サンパウロ大学(物理学)卒業後、航空技術研究所に勤務された経験がおありです。2011年11月、真宗大谷派の鍵役・開教司教に就任。2014年4月門首後継者に選定され、翌年より日本に移住。7月1日の就任にあたり、法名を「釋修如」に改名されました。

 暢裕新門首は就任にあたって、「真宗の素晴らしい教えは、『私をたすけてください』だけではなく、生きとし生けるもの、すべて平等にたすけてもらわなければ、私もたすからない。みんながたすからなければ、絶対に一人ではたすからないんだということだと思います。そういうことに目が覚めれば、また違う社会が生まれ、素晴らしい世の中になっていくのではないかと思います。」と語ってみえます。

 2023年には、慶讃法要という大きな法要を迎えます。グローバルな視点からの親鸞聖人の教えの展開と多方面でのご活躍を期待しております。

【あとがき】

幼い子どもたちは、一年前のことを「むかしね・・・」と話すことがあると、保育園の先生から聞いたことがあります。コロナ禍が一向に収束する気配の見えない今。この半年間は何だったのかいや去年の夏は何をやっていたのか遠い昔のように思います。あの頃、母も元気で、息子朋孝は新婚生活、私たちは何かにつけて少しずつ手放さなければと話していました。ここで「不安に立つ」‥【住職】    

《 門徒の声 》

古代とコロナ  橋本健一さん

現在、世界中で新型ウイルスが流行していて、その病名を新型コロナウイルスCOVID-19と呼ぶのを知ったのは、正月が明けて1月9日でした。コロナとは天文学のコロナの形に似ているからで、英和辞典にコロナは「karoun 」(コロウナ)と、さらにウイルスは「virus」(vairs)と読み、「ウイルス」と呼ぶのは元来ラテン語がこの読み方であって「毒」の意味を知りました。古代の倭国人は外国人との接触が非常に少ないから外国からの伝染病への抵抗力が非常に弱く、ただのインフルエンザのみでも邪馬台国とその周辺国に病気が伝わり、一気に広範囲が全滅したとかいわれます。聖徳太子の斑鳩宮殿は内部に外国からの仏像、仏具、仏典などを安置し、渡来僧が経文を読めば、そこは現在のコロナウイルス対策の三密たる「密閉・密集・密接」が起きますから、太子はインフルエンザで亡くなられたと巷で耳にします。

昭和28年某日、祖母が「夢の中で邪馬台国の卑弥呼を見たが、巫女の姿だった。場所は近畿地方だが、そこが何処なのか、わしには分からん」そして後日、「わしは、また邪馬台国の夢を見たが、やっぱり、あそこだった」。では「あそこだった」とは、祖母いわく「わしの若い頃に父から邪馬台国は大阪府河内郡松原にあったそうだと聞かされた」と。本居宣長は著書『馭戎慨言』で卑弥呼を「おのれ、まことには男にて女にあらざる……」とは、講釈師見てきたような嘘をつきになり、まるで卑弥呼に会見したように喝破したのは失笑ものです。もしこれを卑弥呼が耳にしたなら「ヒ-」と叫び、「ミ-は女のコでありんす」とでも言い返したでありましょうか。これは、落語家の漫談です。

橋本様ありがとうございます。

いつもの如く古代までお話が広がっていき、オチをつけられました。

皆さんの声を募集しておりますぜひ、お寄せください!

新型コロナウイル感染防止への対応

コロナウイルスの感染者が東京を中心に、毎日多くの人で確認されています。このやっかいなウイルスとは有効なワクチンができるまで、長い間つき合わざるを得ないようです。寺でも「新しい生活様式」に則って、仏事をすすめてまいります。三密を避け、喚起に努め、うがいと手洗いの励行そしてマスクの着用です。ただ、お経をよむ勤行の折には、人との距離を保ちマスクは外させてもらいますので、よろしくお願いいたします。

この機会に寺でのご法事を考えてください!

各家庭でご法事をされる場合、密集が避けられませんので、寺の本堂で席の間隔をゆったりと保ち、勤めることができます。ぜひ、ご検討いただければ幸いです。詳細は寺にお尋ねください。

  • 名古屋乗西寺 歴史
  • 名古屋乗西寺 行事予定
  • 名古屋乗西寺 お墓と納骨堂
  • 名古屋乗西寺 暮らしの中の仏事
  • 名古屋乗西寺 お問い合わせ
  • 名古屋乗西寺 時報つなぐ